不動梵語 ふどうぼんご 声明

節のついたお経

お不動さん、不動明王を讃える節の付いたお経です。
節の付いたお経を声明(しょうみょう)と言います。
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不動明王は、怖い顔をして魔を退治して、私達を魔から守ってくださいます。
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お葬式では、故人をお守りするために不動梵語をお唱えします。
故人に邪気がつかないよう、
無事、極楽浄土に着けるよう不動梵語をお唱えします。
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綺麗なお経の唱え方

綺麗な声でお経.

トレーニング方法をアップしました。

即効果あり.

https://youtu.be/Wt7I8lbN88o

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史上最強の哲学入門

重要な順に 気づきをシェア(後半) 

◎ホントウに大切なのは<結果>である。東洋哲学にとって<理屈>や<科学的根拠>なんてものはどうでもいい。そんなものに<正しさ>を求めるよりも、なにはともあれ、とにかく<結果>

◎方便(ウソ)自体まったく重要ではない。重要なのは方便を通して得られる<体験>の方である。すなわち、屋根に登って景色を見ることが重要なのであって、屋根に至るためのハシゴの種類なんかなんだって良い

◎ウソも方便。これこそが東洋哲学の本質

<説明による伝達不可能性>という致命的な問題を抱える東洋哲学は、手段を選ばす<ウソ(方便)>という反則技を持ち込まざるを得なかった。

◎戒律などの<禁欲的な生活規則>。東洋において、それは一つのウソ<方便>である。

そもそも<戒律(禁欲)>の果て、たどりつく境地など高が知れたもの。肉体的欲求を我慢出来たからと言って、それがなんだと言うのだろう。そんなことをしたからって、特別なことはなにひとつ起きやしない。だから、実は肉を食べちゃいけない、妻帯しちゃいけない・・・ といった戒律にたいした意味はなく、ホントウは全部ウソっぱちなのである。

では何のために戒律は存在するのか?

それは、<欲望>という心の動きをくっきりと浮かび上がらせるためである。影をよく見たければ、白い壁を持ってくれば良い。それと同じ理屈。<〇〇しちゃいけない>という白い壁(戒律)が、<〇〇したい>という影(欲望)を浮き上がらせてくれる。実は戒律は<欲望を止めるため>にあるのではなく、<欲望を自覚させるため>に存在している。

そして、それが戒律の存在意義であり目的なのだから、その目的を果たしさえすれば、戒律の内容自体は、どんな馬鹿げたものだって良い。

◎<心が不安である> <心が綺麗> 僕たちは当たり前のように<心>という言葉を使う。だが、いまだかつて<心>というモノを見たことがあるだろうか。よくよく考えてみると、そんなものは一度だって実体をもってありはしなかった。

それらはすべて、ただの思い込みなのである。

<私の心>など最初から無かった! 無いのだから<私の心>が不安になることなどありえない。

◎僕たちは<思考>を<自分自身(私)>だと思い込んでいる。

◎念仏や真言は同じ言葉を何度も繰り返し唱えることで、頭のなかのゴチャゴチャした考えが収まってゆく。すると気持ちが落ち着き、眠りに入りやすい状態が作り出されるという寸法だ。

◎ウパニシャッド哲学を背景として始まったインド仏教が中国に伝播し、老荘思想と融合して成立したもの、それが<禅>という中国仏教の一派である。

◎禅は<だるまさん>でおなじみの達磨によって始められた。彼は中国の人ではなく、インド人。

すべてが苦だ 五蘊盛苦(ごうんじょうく)

今日は<四苦八苦>の
<五蘊盛苦 ごうんじょうく

お釈迦さんはどうしたら
幸せになれるか考えた

考えた結果、この世は<苦>ばかり、
この<苦>を克服すれば良いと考えた。

<苦>を克服するために、
お釈迦さんは<苦>を分類してみた。
基本的な4種類と 
さらに4種類追加して合計8種類

なので四苦八苦

今日はこの内の五蘊盛苦(五陰盛苦)について

五蘊盛苦 とは
人間の精神も肉体もすべてが苦 
だということ

まず五蘊とは、 人間を成り立たせている五つの要素。
色(しき)(=肉体、物体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(ぎょう)(=心の作用、意志)・識(=認識、意識)

般若心経にも出てくる<五蘊皆空> の五蘊

それらすべてが苦だということ
もうどうしようもない、全てが苦

ところで、仏教はインドで生まれて、中国を経由して、日本に入ってきた。
日本に入ってきた仏教は中国ナイズされている。

どのように中国ナイズされているかといえば

<人生最高! もっと人生楽しもう>

一方、インドでは、<人生は苦だ>

全く逆、

高野山を開いたお大師さん(空海)も、中国へ行って持ち帰ってきたものは
現世利益が全面に出ている密教

日本にはインド的な<人生は苦だ>という厭世的な仏教と
一方、中国を経てやってきた<人生最高!>という現世利益的な仏教が

混じっている。
そう、日本はインドと中国のいいとこどりをしている。

あなたの置かれている状況によって、インド的仏教、中国的仏教を選ぼう!
最終目的地は同じ。

最終目的地は、幸せになること

仏教に限らず、すべての宗教の最終目的地は<幸せになること>
手段(宗教)はいろいろあるけれども、結果がすべて

あなたにあった宗教を選んで、幸せになろう!



 




求不得苦(ぐふとっく) 欲しいぞー

求不得苦 欲しいぞー

今日は<四苦八苦>の
<求不得苦 ぐふとっく

お釈迦さんはどうしたら
幸せになれるか考えた

考えた結果、この世は<苦>ばかり、
この<苦>を克服すれば良いと考えた。

<苦>を克服するために、
お釈迦さんは<苦>を分類してみた。
基本的な4種類と 
さらに4種類追加して合計8種類

なので四苦八苦

今日はこの内の求不得苦について

求不得苦とは
欲しいのに得られない苦しみ

例えば
 美味しいご飯食べたいのに、食べれない。とか
 忙しくて、仕事が休めない。仕事休みたいよー とか

みなさんたくさんありますよね。

これを逆の方から眺めると

得られないから、頑張って努力するのだ。
頑張って、努力して得られるから
価値があるし、うれしい。

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簡単に手に入ってしまったものは、
結局いい加減に扱ってしまう。

得られないからと 苦しむのではなくて、
どのようにしたら得られるかを考えて、
作戦をたて、努力しよう。

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人生は、常に求不得苦だ。

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ここでどう考えるかで幸せか、
不幸かが分かれてくる

パターンA 得られない → 諦める → 不満
パターンB 得られない → 努力する → 満足

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あなたはどっちの人生を歩んできましたか?
もしAならすぐにBに変えましょう!

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ちなみに私の求不得苦は、
蓮茶をどうにかして販売したい。
3年間努力して、やっと販売にこぎつけそうだ。

販売ができるよになったら、次の求不得苦は、
しっかりと売れて、採算が合うことだ。

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人生は求不得苦の連続。
これを努力で乗り越えると楽しい人生。

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